そうだ 京都は、今だ。⑪ はんなり~京夜の宵・花見小路 [Japan 京都]
人が少ない夜に、祇園商店街から八坂神社方面へお散歩^^
お座敷かごを抱え「おこぼ」を履いた、マスク姿の舞妓さんにバッタリ!
だらりの帯の姿でおなじみの京都花街の舞妓さん
芸妓になる為の修業中の少女さん
以前は10歳とか13歳も珍しくなかったそうですが
現在は中学校卒業後からに限られているようです
置屋(おきや)・屋形(やかた)に住み込み
お手伝いをしながら、行儀作法・京の花街言葉・舞踊等を学び
その後「見習い」としてお姉さん芸妓と一緒にお座敷などでの実習を経て
「見世(店)出し」=舞妓デビューとなるそうです
花見小路通は祇園を代表する観光地で
三条通から建仁寺門前までの約1.4kmの通り
祇園をはじめとする東山区の歓楽街を貫いていて
小路の周辺には寺社仏閣やお茶屋のような京都らしいもの
バーや居酒屋までいろいろな施設や店舗が立ち並んでいます
元々は、八坂神社西門から鴨川までの地域全体が「祇園」と呼ばれていました
八坂神社と清水寺の門前町として栄えはじめ
鎌倉時代にはお酒を飲み楽しむ場所として発展していましたが
応仁の乱によって衰退
「祇園」が再考されたのは江戸時代からで
四条通を中心として北側と南側と徐々に拡大していきました
遊郭としては度々規制を受けていて
幕末には今は亡き京都の花街島原以外の遊郭が全面的に禁止されましたが
「祇園」は立地条件に恵まれていたこともあり
八坂神社を修復するための基金を集める為のに特例として
遊郭としての営業が認められ、遊郭地として発展することになったこの通り
神を護る為と言え、全ての道が続くローマもそうですが・・・
人類に一番初めに求められ「商い」とされたのは身を売る事
それが今の世界を支えてきた「歩・史」で有る事は間違いありません
花見小路には「紅殻格子(べんがらごうし)」「犬矢来(いぬやらい)」
祇園情緒のあるお茶屋の家並みが続きます
どこか懐かしく訪れる人の心がはんなり~とする感じ
京都独特の建造物「京町家」が並びます
京の夜散歩はこの魅惑の雰囲気を味わうため・・・
老舗のお茶屋さん(芸妓さんや舞妓さんを呼んで客をもてなす店)も大変でしょう
20時前でしたが、暖簾や提灯を降ろすお店
灯りだけで休業しているお店も多々ありました
「撮影禁止」の立て札も多く見られました
通常なら、京都らしい品位を保ちながらの「静」の景色は
沢山の外国人観光客によって「煩」の眺めになっていたのかもしれません
この「静」の風景こそが~京都の本来の心に残すべき「絵」なのでしょう
お座敷かごを抱え「おこぼ」を履いた、マスク姿の舞妓さんにバッタリ!
だらりの帯の姿でおなじみの京都花街の舞妓さん
芸妓になる為の修業中の少女さん
以前は10歳とか13歳も珍しくなかったそうですが
現在は中学校卒業後からに限られているようです
置屋(おきや)・屋形(やかた)に住み込み
お手伝いをしながら、行儀作法・京の花街言葉・舞踊等を学び
その後「見習い」としてお姉さん芸妓と一緒にお座敷などでの実習を経て
「見世(店)出し」=舞妓デビューとなるそうです
花見小路通は祇園を代表する観光地で
三条通から建仁寺門前までの約1.4kmの通り
祇園をはじめとする東山区の歓楽街を貫いていて
小路の周辺には寺社仏閣やお茶屋のような京都らしいもの
バーや居酒屋までいろいろな施設や店舗が立ち並んでいます
元々は、八坂神社西門から鴨川までの地域全体が「祇園」と呼ばれていました
八坂神社と清水寺の門前町として栄えはじめ
鎌倉時代にはお酒を飲み楽しむ場所として発展していましたが
応仁の乱によって衰退
「祇園」が再考されたのは江戸時代からで
四条通を中心として北側と南側と徐々に拡大していきました
遊郭としては度々規制を受けていて
幕末には今は亡き京都の花街島原以外の遊郭が全面的に禁止されましたが
「祇園」は立地条件に恵まれていたこともあり
八坂神社を修復するための基金を集める為のに特例として
遊郭としての営業が認められ、遊郭地として発展することになったこの通り
神を護る為と言え、全ての道が続くローマもそうですが・・・
人類に一番初めに求められ「商い」とされたのは身を売る事
それが今の世界を支えてきた「歩・史」で有る事は間違いありません
花見小路には「紅殻格子(べんがらごうし)」「犬矢来(いぬやらい)」
祇園情緒のあるお茶屋の家並みが続きます
どこか懐かしく訪れる人の心がはんなり~とする感じ
京都独特の建造物「京町家」が並びます
京の夜散歩はこの魅惑の雰囲気を味わうため・・・
老舗のお茶屋さん(芸妓さんや舞妓さんを呼んで客をもてなす店)も大変でしょう
20時前でしたが、暖簾や提灯を降ろすお店
灯りだけで休業しているお店も多々ありました
「撮影禁止」の立て札も多く見られました
通常なら、京都らしい品位を保ちながらの「静」の景色は
沢山の外国人観光客によって「煩」の眺めになっていたのかもしれません
この「静」の風景こそが~京都の本来の心に残すべき「絵」なのでしょう