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青森 三内丸山遺跡 Ⅱ [Japan]

縄文時代は今から約1万2~3千年前に始まり、約2千3百年前に終わりました
その約1万年間を 「縄文時代」 、その文化を 「縄文文化」 と呼んでいます
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13000年も前にヒスイを見付け、この様な首飾りが作られていたなんて・・・
信じられないと言うか、日本人ってすごいんだわ~と改めて思います
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縄文時代より前は 「旧石器時代」 縄文時代の後は 「弥生時代」
お墓から出土した人骨によって、昔の人間が何を食べていたのか・・・
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食生活は、ゴミ捨て場を調べることによって知ることができますね
縄文人の食料の大部分は、木の実などの植物性の食料だったようです
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私達は子どもの頃から授業や教科書で「縄文時代」をサラ~っと勉強してきましたが
こうして残された何万年も前の物を見る事が出来るって・・・
ポンペイやフォロロマーノより以前な訳で、改めて日本人の歩みに気付かされました
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縄文時代には土器の製作と矢の使用が始まり「ムラ」が作り始められました
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でも・・・こんな北限の雪深い地にどうやって人間が暮らしていたのでしょうね
タイツも手袋もコートもないのに・・・
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当時は現在より少し暖かく、年間の平均気温が2度から3度くらい高かったと考えられています
従って~海が現在よりも内陸に入り込んでいて、5メートル前後が海岸線だったようです
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遺跡から出土した栗をDNA鑑定したところ
それが栽培されていた物である事等が分かったそうです
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多数の堅果類・クリ、クルミ、トチ、一年草のエゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメ
栽培植物の出土により、三内丸山の人たちは自然の恵みの採取活動のみに依存せず
集落の周辺に堅果類の樹木を多数植栽しており、一年草を栽培していた可能性が考えられます
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このことを通して、この遺跡の居住者数は数百人と考えられています
ここは凄い集落だったんですね~
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近くの陸奥湾は、年間平均の波の高さが約30センチメートルと穏やかな内湾で魚が豊富
集落の北側を沖館川が流れていて
海にそそぐ河口近くの小高い丘の上に、縄文の人々は村を作っていました
この場所は海と森の恵み・・・食料を得る上では好都合な土地だったようです
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この遺跡出現により、教科書の「縄文時代の文化」も大幅に改定された事でしょう
従来考えられていたものより、遥かに進んだ文化が縄文時代にはあったのですね
遺跡は他の近くの遺跡に繋がっている可能性が高く・・・
歴史を更に塗り替える「ミステリアス」な地 青森「三内丸山遺跡」
これから更に様々な物が出土されるのかと思うと~ドキドキ&ワクワク!
私も「発掘に加わりた~い!」と渇望してしまいます^^
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