青森 三内丸山遺跡 Ⅰ [Japan]
「台湾取り纏め旅行記^^」に入る前に~国内旅の足跡記事を・・・
青森県・青森市にある「三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)」
縄文時代前期中頃から中期末葉の大規模集落跡です
1992年 この場所に県営野球場建設を予定し着工
しかし大規模な集落跡が見つかり野球場建設は中止 遺跡の保存が決定しました
2000年には国の特別史跡に指定されました
入場料を支払い、このゲートを抜けると~縄文時代にタイムスリップします
この遺跡は、八甲田山から続く緩やかな丘陵の先端に位置し
標高は約20メートル 約40ヘクタールの広大な範囲に広がっています
通常の遺跡でも見られる竪穴住居、高床式倉庫
大型竪穴住居が10棟以上、約780軒にもおよぶ住居跡
さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在したと想定されています
縄文時代・・・と簡単に言ってしまいますが、今から14000年も前の事
紀元前に~?しかも東北最北端で!?人間・日本人が暮らし生きていた~~!???
と、考えただけでも感動です だって~東北の冬は涙が出る程厳しいです・・・
1994年には直径約1メートルの栗の柱が6本見つかり、大型建物の跡とも考えられています
その丸山遺跡のシンボル的な3層の掘立柱建物は、この様に再現されています
どうやってこんな大きな物を作ったのかしら・・・とにかく大きいです
集落は、この様に住居や大型掘立柱建物・掘立柱建物
ごみ捨て場
お墓
貯蔵穴・土坑墓・粘土採掘穴・盛り土・道路など・・・計画的に配置されています
野球場建設によって発見されたこの遺跡
まだまだ発掘調査が続けられていますが~
実はこの地に遺跡が存在することは、江戸時代から既に知られていたのだそうです
元和九年(1623年)多量の土偶が出土したこと
寛政八年(1796年)三内の村の古い堰が崩れた場所から
瓦や甕、土偶のような破片が見つかったこと・・・が記録に残っているそうです
明日は~出土された見事に残る姿物たちによる「縄文時代の暮らし」を見に行きます
青森県・青森市にある「三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)」
縄文時代前期中頃から中期末葉の大規模集落跡です
1992年 この場所に県営野球場建設を予定し着工
しかし大規模な集落跡が見つかり野球場建設は中止 遺跡の保存が決定しました
2000年には国の特別史跡に指定されました
入場料を支払い、このゲートを抜けると~縄文時代にタイムスリップします
この遺跡は、八甲田山から続く緩やかな丘陵の先端に位置し
標高は約20メートル 約40ヘクタールの広大な範囲に広がっています
通常の遺跡でも見られる竪穴住居、高床式倉庫
大型竪穴住居が10棟以上、約780軒にもおよぶ住居跡
さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在したと想定されています
縄文時代・・・と簡単に言ってしまいますが、今から14000年も前の事
紀元前に~?しかも東北最北端で!?人間・日本人が暮らし生きていた~~!???
と、考えただけでも感動です だって~東北の冬は涙が出る程厳しいです・・・
1994年には直径約1メートルの栗の柱が6本見つかり、大型建物の跡とも考えられています
その丸山遺跡のシンボル的な3層の掘立柱建物は、この様に再現されています
どうやってこんな大きな物を作ったのかしら・・・とにかく大きいです
集落は、この様に住居や大型掘立柱建物・掘立柱建物
ごみ捨て場
お墓
貯蔵穴・土坑墓・粘土採掘穴・盛り土・道路など・・・計画的に配置されています
野球場建設によって発見されたこの遺跡
まだまだ発掘調査が続けられていますが~
実はこの地に遺跡が存在することは、江戸時代から既に知られていたのだそうです
元和九年(1623年)多量の土偶が出土したこと
寛政八年(1796年)三内の村の古い堰が崩れた場所から
瓦や甕、土偶のような破片が見つかったこと・・・が記録に残っているそうです
明日は~出土された見事に残る姿物たちによる「縄文時代の暮らし」を見に行きます