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オランダ・アムステルダム Ⅷ アンネ・フランク [アムステルダム・ Netherlands]

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小学4年時 夏休みの「読書感想文」の為、母が私に与えてくれた「アンネの日記」
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私が「日記」を書く事が好きになったのは、まさにその時からです
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ちょうど~4年時担任の小坂先生が
子ども達とのキャッチボールに、全員「毎日の記録」を義務付けました
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小坂先生は自分の時間を削っても、いつも私達と向き合ってくれました
(2児の子を持つ母だったのに・・・今思えば大変だったと思います)
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アンネは親にも世にも言えない小さな喜びや恋、日々の不安を
回転する隠れ家の本棚の裏部屋で、白いページに綴っていました
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母から与えられた書は、幼心に胸に強く突き刺さりました
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ショックでした こんな事が世界で起きていたなんて 
どうして罪もない人達・子どもがガス室へ? ヒットラーって何? ドイツってどんな国?
幼い頃、そんなことを考えながらこの本を読みました
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ドイツによる占領時に、アムステルダムの隠れ家で暮らした日々について2年間の日記を綴り
悲惨な生活環境や恐怖の中でも、明るく希望を失わなかったアンネ
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アムステルダムへ行きたい!との思いが募ったのもこの時からで
ヨーロッパへ行くなら先ずは「オランダ」と思い、初ヨーロッパ渡航は「オランダ」でした
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ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランク
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オランダでもユダヤ人連行が頻繁に行われるようになり
フランク一家はアンネの父・オットーが経営していた会社の建物の奥側部分3階・4階
そこの屋根裏部屋を改築し、身を隠すように暮らしました
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以前は生家を、日記と同じ・そのまま見る事が出来ました
数十年前ここへ訪れた私は、財団へいくらかの寄付をしアンネの暮らした家へ入場しました
今ではこの様に異常なまでの行列 そして~多額の入場料
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こちらが~本来のアンネ・フランク家の入口
ここからゲシュタポが入って来たかと思うと、ここに立つことすら恐怖を覚えます
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フランク家の4人以外にも、4人のユダヤ人が住んでいたこの隠れ家
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日記にも記された有名な回転する書棚です
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1944年8月4日にドイツのゲシュタポ(秘密国家警察)に発見・密告されてしまったフランク一家
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アンネたちの隠れ家生活に終止符が打たれました
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ちなみにアンネの日記の記載は、その3日前の8月1日が最後です
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数十年前、アンネの家を訪れた際 
回転する本棚を回し裏部屋へ入室した私は、涙が頬を伝いその場へ座り込んでしまいました
「アンネ基金」に賛同した私の僅かなオランダ$・ギルダーは
生家に隣接する記念館を併設するまでとなってしまったのかと思うと
嬉しいような、哀しいような・・・
あの頃のままの部屋・階段・暮らした様を時世に伝えるには、様々な手直しが必要だったのでしょう
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「アンネの日記」を読まれた方だけが分かるムント塔 ・ Munt Tower
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彼女も聞いた「時を刻む鐘の音」は、時にアンネの心躍る(待ち合わせ)鐘の音だったようです

今でもアンネが聴いていた時と同じ「時」を刻む「鐘の音」です  
私には何度聴いても哀しい「音」に聴こえてしまいます
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