オランダ・アムステルダム Ⅳ ゴッホ美術館 [アムステルダム・ Netherlands]
オランダと言えば「ゴッホ」
絵画の巨匠「フィンセント・ファン・ゴッホ」生誕の地です
ゴッホ美術館
今はExitとして使用されているこちらが、昔はEntrance・入り口でした
チケットの購入はオンラインでのみ可能 渡航前に購入しvoucherを持って優先入場
ゴッホ=絵画の神様と崇拝し、部屋にも彼の絵を沢山飾ってある我が家
この美術館には何度も訪れました
達朗と同じくらいゴッホオタクなので
彼の作品を簡単に説明をしながら^^館内の絵をご一緒に巡りましょう
「灰色のフェルト帽を被った自画像」1887年
この絵はニューヨークにもあり、そちらでも観た事があります
ゴッホ好きな虫博士もNYで1番初めにゴッホの「自画像」を見に行ったそうです
ですが、NYの自画像とNLDの自画像ではやはりタッチが違います
彼は数十点自画像を描いています フォルムは同じですが筆触はまるで違うんです
「麦わら帽子をかぶった自画像」1887年
「イーゼルの前の自画像」1888年
「ファン・ゴッホの寝室」1888年
パリのオルセー美術館でも観る事が出来ました 同名の作品は3点あります
「中学生(カミーユ・ルーランの肖像_郵便配達夫の息子)」1888年
「荒れ模様の空の麦畑」1890年
我が家の階段踊り場に掛けてある、私がゴッホの絵で一番好きな絵です
「ひまわり(15本のひまわり)」1889年
同じ「15本のひまわり」は東京の東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館にも所蔵しています
ゴッホは「ひまわり」を何点も描いています
そのうち一般的に思い浮かべる「複数のひまわりが花瓶に挿されている状態のもの」
そちらに限定すると6点、それ以外の状態のものを入れると11点が現在確認されています
「複数のひまわり」は実際には7点ありましたが
1点は日本で戦時中に消失したため現存するのは6点、と言うのは有名な話です
ゴッホがこれらの「ひまわり」を描いたのは
ゴッホの10年ほどの画歴の中で南仏アルルで暮らした1888年から89年間のわずか1年ほど
ゴッホにとって「ひまわり」は自らを映す鏡のようなものであり、夢や希望の象徴
精神的に不安定だったゴッホは、心の空洞を埋める為ひまわりの絵を描いたといわれています
「ゆりかごの側に座る女性」1887年
「アルルの跳ね橋(アルルのラングロワ橋と運河沿いの道)」1888年
この絵も大好きで、我が家の虫博士の部屋に掛けてあります
ゴッホは「ひまわり」に限らず、一度自分が描いた作品を見ながら
もう一度描き直すということをやっています
これはゴッホに限らず、他の画家も良くやる事なんです
「モンマルトルの野菜園」1887年
「サント=マリーの浜辺の釣り船」1888年
この絵も好きな絵 ピアノのある部屋に掛けてあります
日本の版画芸術はファン・ゴッホの最も重要なインスピレーション源で
彼は熱心な浮世絵コレクターでもありました
「高級売春婦」1887年
浮世絵版画は彼にとって刺激剤で、それまでとは違った物の見方を教えてくれたようです
19世紀後半、日本から渡来するものは何から何までもてはやされる時代
フィンセントもこの「ジャポニスム」の洗礼を受けました
「梅の開花(広重を模して)」1887年
漢字まで模写しているのが面白いですね
わずか10年の間に油彩、素描等、数百点の作品を残したゴッホ
耳を落とし、銃で胸を打ち、自らの命を絶ちました
光と色彩の独自の使い方、筆やパレットナイフのストロークを活かした厚塗りの手法
20世紀の主要な芸術の流れに大きな影響を与えた・・・
ゴッホは偉大なる神の様な芸術家でした
※ いつも「Viviane's Information」を応援&閲覧してくださり有難うございます
so-netのドメイン以降の為、10月1日からURLが変わりました
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変わらぬご愛顧のほど・・・よろしくお願いいたしま~す
絵画の巨匠「フィンセント・ファン・ゴッホ」生誕の地です
ゴッホ美術館
今はExitとして使用されているこちらが、昔はEntrance・入り口でした
チケットの購入はオンラインでのみ可能 渡航前に購入しvoucherを持って優先入場
ゴッホ=絵画の神様と崇拝し、部屋にも彼の絵を沢山飾ってある我が家
この美術館には何度も訪れました
達朗と同じくらいゴッホオタクなので
彼の作品を簡単に説明をしながら^^館内の絵をご一緒に巡りましょう
「灰色のフェルト帽を被った自画像」1887年
この絵はニューヨークにもあり、そちらでも観た事があります
ゴッホ好きな虫博士もNYで1番初めにゴッホの「自画像」を見に行ったそうです
ですが、NYの自画像とNLDの自画像ではやはりタッチが違います
彼は数十点自画像を描いています フォルムは同じですが筆触はまるで違うんです
「麦わら帽子をかぶった自画像」1887年
「イーゼルの前の自画像」1888年
「ファン・ゴッホの寝室」1888年
パリのオルセー美術館でも観る事が出来ました 同名の作品は3点あります
「中学生(カミーユ・ルーランの肖像_郵便配達夫の息子)」1888年
「荒れ模様の空の麦畑」1890年
我が家の階段踊り場に掛けてある、私がゴッホの絵で一番好きな絵です
「ひまわり(15本のひまわり)」1889年
同じ「15本のひまわり」は東京の東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館にも所蔵しています
ゴッホは「ひまわり」を何点も描いています
そのうち一般的に思い浮かべる「複数のひまわりが花瓶に挿されている状態のもの」
そちらに限定すると6点、それ以外の状態のものを入れると11点が現在確認されています
「複数のひまわり」は実際には7点ありましたが
1点は日本で戦時中に消失したため現存するのは6点、と言うのは有名な話です
ゴッホがこれらの「ひまわり」を描いたのは
ゴッホの10年ほどの画歴の中で南仏アルルで暮らした1888年から89年間のわずか1年ほど
ゴッホにとって「ひまわり」は自らを映す鏡のようなものであり、夢や希望の象徴
精神的に不安定だったゴッホは、心の空洞を埋める為ひまわりの絵を描いたといわれています
「ゆりかごの側に座る女性」1887年
「アルルの跳ね橋(アルルのラングロワ橋と運河沿いの道)」1888年
この絵も大好きで、我が家の虫博士の部屋に掛けてあります
ゴッホは「ひまわり」に限らず、一度自分が描いた作品を見ながら
もう一度描き直すということをやっています
これはゴッホに限らず、他の画家も良くやる事なんです
「モンマルトルの野菜園」1887年
「サント=マリーの浜辺の釣り船」1888年
この絵も好きな絵 ピアノのある部屋に掛けてあります
日本の版画芸術はファン・ゴッホの最も重要なインスピレーション源で
彼は熱心な浮世絵コレクターでもありました
「高級売春婦」1887年
浮世絵版画は彼にとって刺激剤で、それまでとは違った物の見方を教えてくれたようです
19世紀後半、日本から渡来するものは何から何までもてはやされる時代
フィンセントもこの「ジャポニスム」の洗礼を受けました
「梅の開花(広重を模して)」1887年
漢字まで模写しているのが面白いですね
わずか10年の間に油彩、素描等、数百点の作品を残したゴッホ
耳を落とし、銃で胸を打ち、自らの命を絶ちました
光と色彩の独自の使い方、筆やパレットナイフのストロークを活かした厚塗りの手法
20世紀の主要な芸術の流れに大きな影響を与えた・・・
ゴッホは偉大なる神の様な芸術家でした
※ いつも「Viviane's Information」を応援&閲覧してくださり有難うございます
so-netのドメイン以降の為、10月1日からURLが変わりました
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