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新しい旅の姿で 広島 ③ 原爆 [Japan 広島]

1945年8月6日 広島は雲一つない快晴の空でした
が、広島に暮らしていた人々の命を奪い去った空となってしまいました
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快晴となったおかげで、目で目標を確認する事ができたたエノラ・ゲイ
「リトル・ボーイ」と呼ばれる「原爆・核」を広島に投下しました
8時14分
「行ってきまーす!」 子ども達が登校し、親たちが出勤する時間
そのいつもの日常が、一瞬にして8時15分には地獄となりました
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アメリカは原爆の威力を正確に測定できるよう
投下目標を直径3マイル(約4.8キロメートル)以上の市街地を持つ都市の中から選びました
広島を第一目標としたのは、広島にアメリカ軍兵士などの捕虜収容所がないと思っていたため
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市電が動き、賑わう朝の広島の景色も・・・上空から見ることが出来たでしょうね
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原爆死没者慰霊碑
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正式名称は「広島平和都市記念碑」ですが、「原爆死没者慰霊碑」として知られています
この石室の中には、国内外を問わず被爆して亡くなった原爆死没者の名簿が納められ
毎年関係者により書き加えられています
平和の灯
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核兵器廃絶を願って1964年8月1日に点火された灯は
世界から核兵器がなくなるまで燃やし続けられています
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原爆は原爆ドーム(当時の広島県産業奨励館)から南東約160メートル
高度約600メートルの位置で炸裂
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この時の爆風は1平方メートルあたり35トンの圧力を持ち
風速は秒速440メートルという凄まじいものでした
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この館は激しい爆風と熱線を浴びて、火を噴きだして燃え上がったといわれています
爆風がほとんど上から真っ直ぐ下に働いたため
奇跡的に厚い側面の壁や鉄骨のドーム部分などは倒壊を免れました
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しかし、建物内にいた人は全員即死、建物内部は熱線による火災で全焼
鉄骨部がむき出しとなったドームは
いつからか「原爆ドーム」と呼ばれるようになったといいます
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世界平和を訴えるために残されている貴重な建築物
この原爆ドームは通常の文化財建造物とは異なり
破壊された建物を、破壊された時の状態で保存していく事に重要な意味があり
平和を願う「世界遺産」として認められた価値を表すことに繋がります
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被爆による後遺症で亡くなった女性の日記をきっかけに
被爆体験を伝える貴重な建物として
当時の姿を残したまま保存されることになったのが「原爆ドーム」です
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広島・長崎に原爆が投下された約一週間後の8月15日
昭和天皇は全国に向けての放送で降伏を発表しました
存命の被爆者の多くは、80歳を超えました
核兵器の拡散に反対し、戦争の恐ろしさを語り継ぐ活動を続けてきた人も大勢います
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広島と長崎への原爆投下そのものが、戦争を終わらせたわけではありません
原爆の威力や悲惨さを今に伝え
目に見える形で、核兵器の廃絶と世界の恒久平和を訴えかけている「原爆ドーム」
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一般市民に凄まじい犠牲をもたらした核・原爆
これほどの犠牲が果たして必要だったのでしょうか
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原爆資料館にも多くの外国人が訪れ、涙を拭う姿も見受けられました
やっと訪れることが出来た私も、その悲惨さに溢れる涙を抑えきれませんでした
あれから75年
世界中の人々が平和を願い、祈り、平和な世で暮らしたいと思っています
広島原爆投下後  実戦であえて核兵器を使った国は・・・今のところありません
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