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仙岳院 [Japan]

少し時を戻して・・・木瓜の花が咲き始めた3月末
運動不足の為、我が家の近くを買い物がてらウォーキング
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天台宗比叡山延暦寺が本山の「仙岳院」
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承応三年(1654年)二代藩主伊達忠宗公が幕府に願って東照宮を勧請し
その別当寺として創建しました
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それ故に~仙台・東照宮の真下に鎮座しています
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仙台藩内の寺院の序列で、最高位の一門格(いちもんかく)のお寺として知られています
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本堂は明和2年(1765)の火災による焼失後に再建されたものです
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創建当時、この直ぐ上に建つ東照宮の祭祀料は五拾貫文
仙岳院関係に五十貫文、その合計:百貫文を、忠宗公はこの仙岳院に管理させたそうです
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東照宮遷座式には伊達騒動の立役者・原田甲斐守が奉行を勤め
そのときのお布施は合計二万両だったとの事が、仙岳院三世亮栄師の記録として残されています
仙台藩が如何に幕府に気を遣っていたのか・・・がここで教えられます
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御本尊釈迦三尊や薬師如来
仙台三十三観音 第十一番札所 小萩観音
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地蔵菩薩、聖観音、不動明王等や、二代藩主・忠宗公も泰安
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「小萩観音」と呼ばれている、札所十一番十一面観世音菩薩は
この地に住む人たちにとっても、今なお安らぎの観音様です
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頼朝の平泉征討の際、藤原秀衛の三男和泉三郎忠衛の女児・五歳を
家来の妻であった「小萩」が護り
加美郡色麻村の清水寺・観円(守時弟)のもとに身を寄せて出家しました
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後に主従共に仙台に移り、女児や守時の死後
小萩は現在の東照宮近くにお堂を建て、女児の護持仏の十一面観世音菩薩を
念持仏として祀りその冥福を祈ったという事です
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その十一面観音像と菅原真実の真筆は、
この近くにある「福沢神社:1596-1614年(江戸時代)片倉景綱(伊達政宗公の藩臣)造営」
に安置されましたが、祝融等により今に至っているそうです
雨も降れ風の吹くをもいとはねと今宵一夜は露無の里
福澤稲荷明神の宮守りした小萩の歌から、後世この地は露無の里といわれています
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