山形市郷土館 国指定重要文化財・旧済生館本館 [Japan]
16角形の回廊を持つ擬洋風の建物
「山形市郷土館」は国指定重要文化財の「旧済生館本館」を活用した施設です
明治時代に県立病院「済生館」として建てられ
昭和41年に国の重要文化財に指定されました
明治11年9月に竣工した擬洋風建築物
擬洋風建築とは・・・幕末から明治10年代にかけ
欧米の建築を日本の大工職人が真似て建てた建造物
洋風建築に由来する形を持っていますが
細部を見ると洋風、和風、時には中国風、の要素が混在しています
明治20年代以降、西洋建築に対する認識が深まると、あまり作られなくなりました
初代山形県令であった三島通庸
山形の近代化を推し進める為、近代的な建築物を街の中心部に次々と建設
旧済生館もその一つで、病院新築の大構想のもとに
東京や横浜の病院を視察させて建設したもの
当時の太政大臣である三条実美に病院に掲げる扁額の揮毫を依頼したところ
「済生館」と題されたので、「山形県公立病院・済生館」と称することになったそうです
この済生館には、診療のほかに医学校が併設されていたそうで
オーストリア人医師・ローレツを医師及び教師として採用し
山形の医学の中心としての機能を果たしていました
回 廊
円形の回廊で14角形のドーナツ型をしています
8つの部屋が作られていて、それぞれ診療室などに利用されていました
螺旋階段
2階から中3階(階段室)へ登るための階段
ケヤキが用いられ、側面には唐草の彫刻が施されています
このような独創的な建築形態は
横浜にあるイギリス海軍病院を参考にしたと言われています
最初は県立病院として使用され、その後、明治21年に民営移管
明治37年からは、市立病院済生館の本館として使用され
昭和41年12月5日に国の重要文化財に指定され、現在は「山形市郷土館」として使われています
「山形市郷土館」は国指定重要文化財の「旧済生館本館」を活用した施設です
明治時代に県立病院「済生館」として建てられ
昭和41年に国の重要文化財に指定されました
明治11年9月に竣工した擬洋風建築物
擬洋風建築とは・・・幕末から明治10年代にかけ
欧米の建築を日本の大工職人が真似て建てた建造物
洋風建築に由来する形を持っていますが
細部を見ると洋風、和風、時には中国風、の要素が混在しています
明治20年代以降、西洋建築に対する認識が深まると、あまり作られなくなりました
初代山形県令であった三島通庸
山形の近代化を推し進める為、近代的な建築物を街の中心部に次々と建設
旧済生館もその一つで、病院新築の大構想のもとに
東京や横浜の病院を視察させて建設したもの
当時の太政大臣である三条実美に病院に掲げる扁額の揮毫を依頼したところ
「済生館」と題されたので、「山形県公立病院・済生館」と称することになったそうです
この済生館には、診療のほかに医学校が併設されていたそうで
オーストリア人医師・ローレツを医師及び教師として採用し
山形の医学の中心としての機能を果たしていました
回 廊
円形の回廊で14角形のドーナツ型をしています
8つの部屋が作られていて、それぞれ診療室などに利用されていました
螺旋階段
2階から中3階(階段室)へ登るための階段
ケヤキが用いられ、側面には唐草の彫刻が施されています
このような独創的な建築形態は
横浜にあるイギリス海軍病院を参考にしたと言われています
最初は県立病院として使用され、その後、明治21年に民営移管
明治37年からは、市立病院済生館の本館として使用され
昭和41年12月5日に国の重要文化財に指定され、現在は「山形市郷土館」として使われています