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原阿佐緒 [deep emotion]

与謝野晶子、斎藤茂吉に師事し「大正の三閨秀歌人」と称された「原阿佐緒
仙台から北へ車で30分ほどの「宮床・みやとこ」に、彼女のお墓や記念館があります
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2016年5月に公開された日本映画「殿、利息でござる!
の、舞台になった場所はこの辺りです
当時は先見・知力の目を持った人々が~
この辺りでは「うずうず・・・」していていたのでしょう
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「原阿佐緒」は、私の記憶の中の奥深くにいた歌人です
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近代史の本に載せられ・残された歌よりも彼女の「美しさ」の方が興味深かったのかも
原 阿佐緒:はら あさお(1888年6月1日 - 1969年2月21日)
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・虫博士の出身校のOGであった事
この記事を書くにあたり~調べていくことで~分かりビックラポン!
ですが・・・中退 後に上京し
日本女子美術学校(現在の東京都立忍岡高等学校)で日本画を学び
1909年(明治40年)に新詩社に入り「与謝野晶子」に師事
有名な「スバル」に短歌を発表
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明治に生れ、大正、昭和を生きた女性
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男社会であった当時の社会の眼や美貌によって
真実の人柄とはちがった女性のように評価され
それが定着してしまっている・・・気の毒な女性・歌人です
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自分の経団の師・小原要逸との間に一児(長男・千秋)次に・・・
画家・庄子勇と結婚し一児(次男・保美)をもうけるも離婚
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東北帝国大学(現・東北大学医学部)に入院した事がきっかけで
東北帝国大学学長「石原純」との恋愛が問題となりました
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アインシュタインの相対性理論を、日本に紹介したことでも知られる「石原純
石原には妻子があったにも関わらず
阿佐緒の才能と美貌にノックアウトだったのでしょう
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全て男性側からの猛アタック=熱愛
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様々な恋愛問題を引き起こしてきたとされている「原 阿佐緒」
美しさ故に、彼女の求めていなかった人生を歩む事となった哀しい運命・・・
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石原氏は東北帝国大学を辞職しましたが、二人は同棲を続けました
この事により阿佐緒は「アララギ」を事実上追放
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1929年(昭和4年)大阪・梅田に、バー「阿佐緒の家」を始め
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1932年(昭和7年)直木三十五の紹介で「大衆文芸映画社」に入社
阿佐緒が原作を書き、女優として主演したサイレント映画「佳人よ何処へ」が製作・公開
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同作の公開に先行し、阿佐緒が作詞し古賀政男が作曲・編曲
淡谷のり子が歌った同名の主題歌が発売されました
阿佐緒が活躍し始めると、小心者なのかその先を見据えての事なのか・・・
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石原純氏は妻子の許に帰り、阿佐緒はバーを転々としたそうです
阿佐緒は1943年(昭和18年)帰郷  歌壇には復帰しなかったそうです

わがひとり かへりしことをあざわらふ 如き眼をして見らるるは悲し
何かひとつ わが胸をさす一言を いはでははてぬふるさと人よ
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この首から阿佐緒に向けられた視線と、その苦悩を窺い知ることができます
スキャンダラスに報じられた石原純氏との関係とその後の破局
女優や酒場のマダムとして働いた日々
幾度もの挫折の末に、帰り着いたのは故郷・宮城の「宮床」でした
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周囲から冷たい目を向けられても、母の待つ宮床は
阿佐緒にとって、なくてはならない場所だったのでしょう
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傷ましく、もどかしく切なく、愛しい・・・
男性や社会に翻弄されながらも
「歌」に「恋」に奔放無垢に生きた美貌の歌人「原阿佐緒」の墓は宮城に在ります
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