大立洞窟・おおだてどうくつ [deep emotion]
高畠ワイナリーで有名な山形・蔵王連峰の西山麓
訪れたのは、車内にも野火の香りが香りが漂う昨秋の事
ワインで有名な「高畠町」役場の北東方、漆山・大立と言う地区
米沢盆地の東北隅に位置する丘陵中です
彩のない晩秋と雪深い冬を迎える前に、精いっぱいの色を見せつけてくれる枯紫陽花
第三紀凝灰岩からなる山体の風化によって形成された洞窟「大立洞窟」
夫婦大好物の山形の十割・田舎蕎麦を食べに出掛けた際、偶然に見付けた歴ママの大発見!
「こんなところに一軒家」ではなく~「こんなところに~遺跡」
晩秋なので・・・冬眠前の熊が出てきそうな獣道
が~この辺りでは熊よけの為、騒音の様な音でラジオをかけてていてくれたので
(ほんの少し)安心して登っていけました
一昨年には泣き喚き~熊に遭遇しましたからね 私、もう教訓を得ました^^
こんな山奥でもGoogle君は私達に色々教えてくれました
色々と即興で調べ学びながら~平然と記事にするのが私の役目^^
「え~~!あそこのあの場所?!」「教えてくれて有り難う!早速行ってみる!」
と言われ、viviブログ愛読者&仲良し達にも参考とされている事が我ブログへの励みです
縄文時代草創期から晩期、弥生・古墳時代の住居跡といわれ
昭和55年6月3日、国の史跡に指定された「大立洞窟」
この洞窟のあるここ、高畠町の漆山丘陵地域は
蔵王連峰の西山麓、米沢盆地の東北隅に位置する丘陵中にあり
第三紀凝灰岩からなる山体の風化によって形成されたものです
この辺りには、日向洞窟・一の沢洞窟など・・・
最古の土器群を出土する洞窟がすでに数か所見つかっています
神秘的な景観の為、縄文時代以降、古代・中世の遺物の散布する所も多く
山岳信仰の対象とされています
全国でも数少ないこの時期の洞窟集中地域であり
居住者の移動あるいは集団間の繋がり方などを理解する上で
好条件を備えたものと考えられる為「国の史跡」に指定されたそうです
洞前面のテラス部分から
最古の部類に属する隆起線文土器・爪形文土器及びそれに伴う尖頭器が発見されています
「こんなところに日本人」が・・・縄文から弥生にかけて暮らしていたんですね
その頃、イタリア・ローマでは水路が作られ
銭湯ならぬ「ローマ風呂」まで楽しんでいた時代
藁の家に、槍と斧で野獣を追って暮らしていた日本人は
今や歴史を作り上げたローマ・イタリアを確実に超えています(G7も見直すべき)
ここからの出土遺物は約1000点、縄文草創期の層の花粉分析により
当時の山形の気候が、現在よりも冷涼だった事がより明らかになったそうです
昭和47年(1972)私が10歳の頃に発見されたといわれる高畠町にあるこの洞窟
経済発展を意識するだけでなく、もっと早くにこういった史跡を探し出せていたら~
C国に負けず劣らずの地位を築けいたのかもしれませんね
訪れたのは、車内にも野火の香りが香りが漂う昨秋の事
ワインで有名な「高畠町」役場の北東方、漆山・大立と言う地区
米沢盆地の東北隅に位置する丘陵中です
彩のない晩秋と雪深い冬を迎える前に、精いっぱいの色を見せつけてくれる枯紫陽花
第三紀凝灰岩からなる山体の風化によって形成された洞窟「大立洞窟」
夫婦大好物の山形の十割・田舎蕎麦を食べに出掛けた際、偶然に見付けた歴ママの大発見!
「こんなところに一軒家」ではなく~「こんなところに~遺跡」
晩秋なので・・・冬眠前の熊が出てきそうな獣道
が~この辺りでは熊よけの為、騒音の様な音でラジオをかけてていてくれたので
(ほんの少し)安心して登っていけました
一昨年には泣き喚き~熊に遭遇しましたからね 私、もう教訓を得ました^^
こんな山奥でもGoogle君は私達に色々教えてくれました
色々と即興で調べ学びながら~平然と記事にするのが私の役目^^
「え~~!あそこのあの場所?!」「教えてくれて有り難う!早速行ってみる!」
と言われ、viviブログ愛読者&仲良し達にも参考とされている事が我ブログへの励みです
縄文時代草創期から晩期、弥生・古墳時代の住居跡といわれ
昭和55年6月3日、国の史跡に指定された「大立洞窟」
この洞窟のあるここ、高畠町の漆山丘陵地域は
蔵王連峰の西山麓、米沢盆地の東北隅に位置する丘陵中にあり
第三紀凝灰岩からなる山体の風化によって形成されたものです
この辺りには、日向洞窟・一の沢洞窟など・・・
最古の土器群を出土する洞窟がすでに数か所見つかっています
神秘的な景観の為、縄文時代以降、古代・中世の遺物の散布する所も多く
山岳信仰の対象とされています
全国でも数少ないこの時期の洞窟集中地域であり
居住者の移動あるいは集団間の繋がり方などを理解する上で
好条件を備えたものと考えられる為「国の史跡」に指定されたそうです
洞前面のテラス部分から
最古の部類に属する隆起線文土器・爪形文土器及びそれに伴う尖頭器が発見されています
「こんなところに日本人」が・・・縄文から弥生にかけて暮らしていたんですね
その頃、イタリア・ローマでは水路が作られ
銭湯ならぬ「ローマ風呂」まで楽しんでいた時代
藁の家に、槍と斧で野獣を追って暮らしていた日本人は
今や歴史を作り上げたローマ・イタリアを確実に超えています(G7も見直すべき)
ここからの出土遺物は約1000点、縄文草創期の層の花粉分析により
当時の山形の気候が、現在よりも冷涼だった事がより明らかになったそうです
昭和47年(1972)私が10歳の頃に発見されたといわれる高畠町にあるこの洞窟
経済発展を意識するだけでなく、もっと早くにこういった史跡を探し出せていたら~
C国に負けず劣らずの地位を築けいたのかもしれませんね