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梅が香 鹽竈神社 [Japan]

節分 立春と過ぎ、まだまだ寒さが続く東北ですが・・・
弥生・三月  時節はもう春なんですよね 
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東北も小さな春を感じる浅春の候
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ウィルスに負けることなく、五枚の花弁を広げ麗しい姿の梅が咲く「塩釜」
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仙台から車で約1時間の塩釜・しおがま 松島湾が目の前のこの地
東日本大震災では膨大な被害の有った場所です
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その塩釜に鎮座する「塩竈神社」は、桜や梅の美しい神社としても有名です
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花々が咲く頃この神社を訪ねると、何だか体がホカホカして元気になれます
穏やかな気が流れているんですよね~、宮城で私の一番好きな場所です♪
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桜と趣の異なる清らかな美しさをもつ梅 良い香りです
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江戸時代以降のお花見といえば「桜」ですが、奈良時代以前は「梅」だったそうです
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梅の花の英語の花言葉は「beauty and longevity(美と長寿)」
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年に2度花開く「四季桜」
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まだ肌寒く、ダウンを着こんでこの枝を遠くから見ると~ド近の私は
ん?雪?と思ってしまいます  が、漂って来る仄かな香りに「桜」だと分かります^^
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約28haある鹽竈神社の境内には、天然記念物の「鹽竈ザクラ」をはじめとして
沢山の花が春の訪れを告げる為、順番に咲き誇ります
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ミツマタ
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山茱萸
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白無垢の花嫁さんも麗しい姿 
おめでと~~~う!綺麗~!梅や桜、何よりも綺麗よ~~!と、思わず^^ 
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林子平が運んだとされる「蝋梅」
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余り香りはしませんでしたが、綺麗に満開を迎えていました
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梅も桜もバラ科の花 
中国が原産の様ですが、古い時代から日本でも好まれ
「梅・桜」=「日本」のイメージが強いですね
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春の花は次々と咲き始めます
花々が持つ一つひとつの小さな春を探しに出掛けるのも、この季節ならではの楽しみです
            梅香る暖かき日も寒き日も 
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江戸時代から伝わる行事「加勢鳥」に祝い水を [Japan]

今年は東北も雪が少ないです 
山形もご覧の通り白いベールを被ったような山々
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山形県上山市にあった「上山城」 
江戸時代には上山藩の藩庁が置かれた城でした
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会津の東山、庄内の湯野浜と並び、「奥羽三楽郷」と称えられる温泉地でもあります
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その上山に江戸時代初期から伝わる民俗行事・奇習「加勢鳥カセドリ」
11日盛大に行われました
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「ケンダイ」という蓑・ミノをかぶった若者に手桶から祝いの水をかけ
五穀豊穣や商売繁盛などを祈る上山伝統の民俗行事
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蓑・ミノの下には何も見に着けていない為
蓑を脱ぐと、擦れと寒さで体が真っ赤です
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五穀豊穣・家運隆盛・火伏せの神様の「加勢鳥」
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上山城をスタートし、温泉街や市街地を練り歩きます
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加勢鳥に扮した34人の中に、今年はポーランド人が2名参加していました
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住民がバケツやひしゃくで水を掛けると「寒い!」と悲鳴を上げながらの笑顔^^
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びしょ濡れの足袋に草鞋・・・一瞬でしもやけになりそうです
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カセ鳥(カセどり)は、山形県上山市で毎年2月11日に開催される旧暦小正月の祭事
「小正月に遠い土地からやってくる神の声によって、一年の豊かさを祝う」
という信仰から生まれたそうです
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「稼ぎ鳥」または「火勢鳥」に由来していて
商売繁盛や火伏せを祈願するための行事とされています
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小雪舞うこの日、カセ鳥が練り歩く場所では彼ら&見物者の為甘酒等が振舞われました
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祝い水を掛けよ~う!と待つ子ども
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上山城に昇殿を許された高野村の若衆三人が、御前で加勢鳥を披露
御殿では新しい手桶と柄杓で加勢鳥に水をかけ、酒と銭一貫文で労ったとの事
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一方の町方加勢は、周辺部の各村から集まった若衆が
商家の連なる町中の門々を歩き回り、出迎える町人から手桶の水をかけられ
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町人は火伏せや商売繁盛を祈願してご祝儀を出し、酒や切り餅を振る舞ったそうです

お囃子に合わせて「カッカッカーのカッカッカー」と歌いながら踊り回るカセ達
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真冬の北国で冷水を浴び、その水が凍りつくこともあるという過酷な祭事
商売繁盛の呪い(まじない)、水商売の繁盛を祈る意味もあるといわれています
なので、温泉街(各旅館)を練り歩くのですね~
私がこの祭事で欲しかった(目的^^)のは~この蓑・ミノ
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神の化身である加勢鳥のケンダイから抜け落ちた藁は縁起物だそうです
この藁で女の髪を結うと、黒髪の豊かな美人になると言われているようで
少しでも白髪が減って美しい黒髪でいられるなら~どこまでも~~~!
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かつては上山市だけではなく~日本全国で小正月に蓑をかぶった者が人家を訪ね
このように「カッカッカ」と鳴いて祝儀をもらう、という風習があったそうですよ
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世界遺産・中尊寺 大節分会 だいせつぶんえ [Japan]

岩手県平泉町 
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奥州藤原氏三代ゆかりの寺・中尊寺
世界遺産に登録されています
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「金色堂」手前の本堂に於いて、2日(日)に恒例の大節分会(え)が行われました 
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立春を前に悪鬼を払い祝福を呼び入れる儀式「豆まき」
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中尊寺本堂では1982年から「豆まき」を開催しています
貫首さんが「豆まきで嫌なことを吹き飛ばし、良いことを呼び寄せましょう」とご挨拶
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先ずは~地元の保育園児ら64人が一年の幸福を願い豆を撒きます
「おには~そと! ふくは~うち!」
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かみしも姿の年男年女ら98人
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参加者らは厄よけ祈願の後、本堂の舞台へ
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それぞれ、年齢と名前が書かれ豆の入った大きな桝を持っています
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約30年前からは力士を招いているそうです
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今年は大相撲・八角部屋で幕内の北勝富士関が参加されました
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落花生250キロと大豆18キロが用意
本堂広場は撒かれる「福」をつかもうと大勢の人です
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「天に花咲け、地に実なれ」
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「福は内~! 鬼は外~!」
本堂の舞台から勢いよく豆が飛んできます^^
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節分は立春前夜に豆をまき、悪鬼を払うもの 
身福(健康)財福(自然と人との恵みに感謝)心福(心の豊かさ)
願いながら撒かれた豆、私も少しいただきました
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年の数だけなんて・・・多すぎて食べられないので^^
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阿武隈川氾濫の爪痕 [Japan]

宮城県最南端・福島県境に位置する山里・丸森町
丸森にはお気に入りのレストランがあり、ランチを取る為に丸森へ向かいましたが~
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阿武隈川を越え、更に山奥へ入っていくと
そのレストランが現れるはずなのに・・・Wow!
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山々に囲まれ、阿武隈川の舟下りやキャンプ場など観光が盛んな丸森町
一方、阿武隈川の支流をはじめ多数の川を有し
「盆地」という地形もあり、過去に何度も水害に遭ってきました
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昨年、10月12日の台風19号もこの丸森朝に大きな被害もたらしました
朝からしとしとと雨が降っていたその日
予報の大雨に備え、その日は午前9時半に消防団に出動が要請
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台風19号の上陸によって・・・死者10人、行方不明者1人
丸森朝は市町村単独では最大の犠牲者を出しました
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阿武隈川支流の3河川で18カ所が決壊し、大規模な浸水被害が出た丸森町
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町内の被害総額は約403億円に・・・  令和元年度の一般会計当初予算約4.5倍・・・
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全長239kmの阿武隈川の堤防決壊こそ免れたものの
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中下流域に運ばれた大量の土砂が川底に堆積
車で橋を渡るのもドキドキします
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無数の流木が橋に掛かって川をせき止め、あふれ出した濁流が地域を襲ったのでしょう
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天と地が存在するならば「災い」は必ず有り得る事 災いを知ってこそ新たな道が開ける
ですが、災いに伴う「害」は求めるところではありません
丸森は3.11の際の「放射能被害」が今なお続く地でもあります
昨日の雨でも更に避難勧告が出ました
誰しもこの様な惨事が起こる地を選び、生まれ育った訳ではありません
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微力でも何か丸森に出来る事・・・
もう少し真剣に考えようと思いながらランチへ向かいました
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松焚祭・どんと祭 [Japan]

慶長10(1605)年に伊達政宗が創建したと伝えられている神社「大崎八幡宮
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毎年14日の小正月に行われる大崎八幡宮の「松焚祭・どんと祭」は
三百年の歴史を有す、正月飾りや古神札等を焼納する~全国でも最大級の正月送りの行事です
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この「どんと祭」と言えば「裸参り」
鐘を鳴らしながら、沢山の参拝者・企業が「御神火」を目指し裸で参道を登ります
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江戸時代中期には既に定着していたと言われている「裸参り」
現在でも白鉢巻き・白さらしを巻き、口には私語を慎む為の「含み紙」
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右手には鐘・左手に提灯を持ち、市内各所より数千人が参拝する様は素晴らしい眺めです
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元々は仙台藩で盛んだった日本酒の醸造をしていた酒蔵が、厳寒時に仕込みに入る前に
醸造安全・吟醸祈願の為参拝したのが、この「どんと祭」の始まりだそうです
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毎年この「どんと祭」の日の仙台は極寒ですが
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参拝客数は初詣客を上回るほどの大賑わいで
杜の都・仙台の冬の風物詩として全国に知られています
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女性や外国人の参加者は裸装束の上から羽織物を1枚着ることが許されています
でも・・・寒そう・・・
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他地域では一般的に「左義長(さぎちょう)」又は「ドンド焼き」等とも呼ばれている祭事
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境内では参拝された企業や学校がお清めを受けています
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「どんと祭」の御神火を目指して参拝する「裸参り」は近年参加者が増加
3500~3800人もの人が裸参りに訪れます
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日没の頃、境内の一角に近郷近在より持ち寄られた門松・注連縄・松飾り等を
「忌火」により点火され焚き上げられます
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この火は正月の間に各家庭に訪れていた神々を送る「御神火」
あたると心身が清められ、一年間無病息災・家内安全の加護を得るという言い伝えがあります
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沢山の屋台も出て大賑わいの参道
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「御神火」を待つ人々
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仙台市の無形民俗文化財にも指定された「松焚祭・どんと祭」
今年も昨夕「御神火」にあたって来ました
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今年一年、家族が健康、無事に過ごせますように・・・
そして皆様にも御加護がありますように
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アサヒビール福島工場 [Japan]

ど~~ん!と現れた、銀色の巨大タンク この中ぜ~んぶビール!
スーパードライを始め、10種類のビール系飲料を製造、東北6県&新潟に出荷している
アサヒビール工場・福島(本宮)
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「蛇の鼻遊楽園」で紅葉を楽しんだ後は~アサヒビールの工場へ向かいました^^
実は~こちらの方が楽しみだったりして・・・
工場に併設された見学・展示施設「アサヒブルワリープラザふくしま
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アサヒビールは全国に工場が8ヶ所 全ての工場で見学が出来ます
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安達太良山系の清冽な水に恵まれた「アサヒビール福島工場」は1972年の竣工
結構な歴史ある工場なんですね
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13時の見学コースにギリギリで入れていただきました
約1時間の見学終了後は~工場できたてのスーパードライが試飲出来ます
飲める人(助手席で寝る私)&飲めない人(ドライバーのパパ)の区別はストラップの色で^^
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麦・ホップ、ビールに必要な材料や工程等の詳しい説明
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アサヒビールのアテンドは素晴らしいですね~知識だけではなく常に「笑顔」
聞けば何でも応えてくれます 
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駒形の「アサヒビール本社」近く 
私が良く行く「駒形どぜう」の瓶ビールが異常なまでに美味しい訳を尋ねてみました
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「スカイツリー」が入れられたラベルの瓶ビールを提供する老舗だけに
工場から即日出荷&提供なんだと思います・・・との事 だからなのねぇ~
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ビールはビンや缶に詰めた瞬間から劣化が始まり
輸送中の振動や温度変化も~なるべく少ない方が美味しいとの事
ここでパパと二人で顔を合わせ~目と目で話す数秒の・・・「うちのピアノの下・・・」
お中元&お歳暮&いただき物のビールの箱で、ペダルが踏めない程になってる・・・わよね?
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と言う事で~家に戻ってからビール処理班が設立されました
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世界№1のビール生産を誇るアサヒ オリオンビールも~今やアサヒ
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天下の「なだ万」も~アサヒ系となっていた事には驚きました
試飲にはおつまみが付いてます こちらの「なだ万」のチーズおかきでした
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お待ちかね~~~の試飲(20分)タ~~~イム!
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ビールは出来たてほやほや~の工場直送の3種類が試飲できます
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勿論~1杯目は「スーパードライ」ですよね?^^
マイスター・小林さんさんは~先ず笑顔!グラスの持ち方、眼鏡からして違います
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ここでいただけるビールは文字通り「工場直送」 
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それは~分かっていましたが~ウソのように美味し過ぎ~~~!
まず泡! 何?これ? 思わず顔パックしたくなる程のきめ細やかさ!
舌触りも口に含んだ温度も素晴らしい! そして~ジ~ンと感じる麦の味・・・
苦みが殆どない・・・これが~出来たてのビールなんですね
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で、スーパードライのブラック
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ビックリ!今まで味わった事のないビールの旨さ
少しビールから遠ざかっていた私ですが~
こんなに美味しいビールなら、本宮に引っ越そうかしら・・・と真面目に考えちゃいます
勿論、お子ちゃまやアルコールNGの方の為には~
カルピスや三ツ矢サイダー、ノンアルコールビールも用意されています
ビール工場見学は、もともと地元住民とのコミュニケーションを目的に始まったそうです
その昔・・ビール製造に「精麦」という過程があり、それが「臭害」を引き起こしていました
我が家近くにも昔「キリンビール」の工場があり、その匂いは想像を絶する異臭でした
今ではその過程はなくなり~敷地内外全く匂い&異臭は無くなりましたが~
この様に見学は今でも続行! この福島工場には年間5万人が訪れるそうです

アサヒビール福島工場その他 / 五百川駅

昼総合点★★★★ 4.5


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蛇の鼻(じゃのはな)御殿と秋菊 [Japan]

本宮市と大玉村の境に位置する大名倉山(おおなぐらやま)の東の麓
本宮市の蛇の鼻(じゃのはな)地区
明治の末、本宮町の豪農 伊藤彌(わたる)によって、蛇の鼻地区が開墾され
その豪農の伊藤氏は、1899年・明治32年に「蛇の鼻遊楽園」を開園されました
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池を望む高台には贅を尽くした別荘「蛇の鼻御殿」が10年の歳月を掛け建てられたそうです
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「蛇の鼻遊楽園」で紅色美しい秋を眺めた後、御殿も見学してみる事に・・・
♪カステラ1番、電話は2番~36番は伊藤さ~ん♪ 
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再現が困難な建造物として「登録有形文化財」に登録されています
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何しろ先ず、一番初めに驚いたのは~玄関周りの巧妙精密な彫刻
住所・表札も何もかも手彫り  お金が有り余っていたのでしょう
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二本松市で200年以上の歴史がある、仏具彫刻店の初代父子による作品だそうです
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日光の東照宮にみられる彫刻の数々を参考にして製作されたらしく
「眠り猫」も見付けました~^^
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廊下はケヤキの一枚板
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部屋は全6室 狩野派絵師などによる障屏画や
伊藤博文、三条実美、木戸孝允の扁額も残されています 数々の国宝級の一級品の数々
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建築に用いられた材質の中には、現在では入手困難とされるものも多く見られます
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その一つが2階へ上る階段に使われている「黒柿」
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床柱は「ビワ」 この「ビワ」も現在では建材に使われる事はほぼありません
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当時は「豪農」が生きる術を握っていた時代だったのでしょう
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建築されてから約120年は経過していますが、今でも立派な日本家屋です
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庭には桜と共に日本を象徴する花・秋菊が、良く手入れされ美しく咲いていました
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皇室の御紋章、国会議員のバッチ、来年のオリンピックの国花、にもなっていますね
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穏やかな秋晴れの晩秋 
東北の南の地で、豪農によって造られた紅色の秋と素晴らしい建造物を見ることが出来ました
せっかく本宮へ来たのですから~この後は、あ・そ・こ・・・に寄らないと^^
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青森 三内丸山遺跡 Ⅱ [Japan]

縄文時代は今から約1万2~3千年前に始まり、約2千3百年前に終わりました
その約1万年間を 「縄文時代」 、その文化を 「縄文文化」 と呼んでいます
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13000年も前にヒスイを見付け、この様な首飾りが作られていたなんて・・・
信じられないと言うか、日本人ってすごいんだわ~と改めて思います
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縄文時代より前は 「旧石器時代」 縄文時代の後は 「弥生時代」
お墓から出土した人骨によって、昔の人間が何を食べていたのか・・・
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食生活は、ゴミ捨て場を調べることによって知ることができますね
縄文人の食料の大部分は、木の実などの植物性の食料だったようです
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私達は子どもの頃から授業や教科書で「縄文時代」をサラ~っと勉強してきましたが
こうして残された何万年も前の物を見る事が出来るって・・・
ポンペイやフォロロマーノより以前な訳で、改めて日本人の歩みに気付かされました
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縄文時代には土器の製作と矢の使用が始まり「ムラ」が作り始められました
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でも・・・こんな北限の雪深い地にどうやって人間が暮らしていたのでしょうね
タイツも手袋もコートもないのに・・・
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当時は現在より少し暖かく、年間の平均気温が2度から3度くらい高かったと考えられています
従って~海が現在よりも内陸に入り込んでいて、5メートル前後が海岸線だったようです
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遺跡から出土した栗をDNA鑑定したところ
それが栽培されていた物である事等が分かったそうです
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多数の堅果類・クリ、クルミ、トチ、一年草のエゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメ
栽培植物の出土により、三内丸山の人たちは自然の恵みの採取活動のみに依存せず
集落の周辺に堅果類の樹木を多数植栽しており、一年草を栽培していた可能性が考えられます
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このことを通して、この遺跡の居住者数は数百人と考えられています
ここは凄い集落だったんですね~
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近くの陸奥湾は、年間平均の波の高さが約30センチメートルと穏やかな内湾で魚が豊富
集落の北側を沖館川が流れていて
海にそそぐ河口近くの小高い丘の上に、縄文の人々は村を作っていました
この場所は海と森の恵み・・・食料を得る上では好都合な土地だったようです
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この遺跡出現により、教科書の「縄文時代の文化」も大幅に改定された事でしょう
従来考えられていたものより、遥かに進んだ文化が縄文時代にはあったのですね
遺跡は他の近くの遺跡に繋がっている可能性が高く・・・
歴史を更に塗り替える「ミステリアス」な地 青森「三内丸山遺跡」
これから更に様々な物が出土されるのかと思うと~ドキドキ&ワクワク!
私も「発掘に加わりた~い!」と渇望してしまいます^^
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青森 三内丸山遺跡 Ⅰ [Japan]

「台湾取り纏め旅行記^^」に入る前に~国内旅の足跡記事を・・・

青森県・青森市にある「三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)
縄文時代前期中頃から中期末葉の大規模集落跡です
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1992年 この場所に県営野球場建設を予定し着工
しかし大規模な集落跡が見つかり野球場建設は中止 遺跡の保存が決定しました
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2000年には国の特別史跡に指定されました
入場料を支払い、このゲートを抜けると~縄文時代にタイムスリップします
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この遺跡は、八甲田山から続く緩やかな丘陵の先端に位置し
標高は約20メートル 約40ヘクタールの広大な範囲に広がっています
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通常の遺跡でも見られる竪穴住居、高床式倉庫
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大型竪穴住居が10棟以上、約780軒にもおよぶ住居跡
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さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在したと想定されています
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縄文時代・・・と簡単に言ってしまいますが、今から14000年も前の事
紀元前に~?しかも東北最北端で!?人間・日本人が暮らし生きていた~~!???
と、考えただけでも感動です だって~東北の冬は涙が出る程厳しいです・・・
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1994年には直径約1メートルの栗の柱が6本見つかり、大型建物の跡とも考えられています
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その丸山遺跡のシンボル的な3層の掘立柱建物は、この様に再現されています
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どうやってこんな大きな物を作ったのかしら・・・とにかく大きいです
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集落は、この様に住居や大型掘立柱建物・掘立柱建物
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ごみ捨て場
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お墓
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貯蔵穴・土坑墓・粘土採掘穴・盛り土・道路など・・・計画的に配置されています
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野球場建設によって発見されたこの遺跡
まだまだ発掘調査が続けられていますが~
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実はこの地に遺跡が存在することは、江戸時代から既に知られていたのだそうです
元和九年(1623年)多量の土偶が出土したこと
寛政八年(1796年)三内の村の古い堰が崩れた場所から
瓦や甕、土偶のような破片が見つかったこと・・・が記録に残っているそうです
明日は~出土された見事に残る姿物たちによる「縄文時代の暮らし」を見に行きます
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日本三大うどん・稲庭うどん [Japan]

香川県の「讃岐うどん」 秋田県の「稲庭うどん」 長崎県の「五島うどん」
この「うどん」が日本の三大うどんと呼ばれています
稲庭うどん」 その発祥とされているのが秋田県湯沢市稲庭町
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「稲庭城」 中世の秋田南部を支配した小野寺氏の居城
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稲庭うどんは知っていましたが~「稲庭城」なるものが在った事は全く知りませんでした^^
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「上ってみる?」「ん?うどんの方がいい^^」
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と、言う事で~「稲庭城」のレポはありません^^
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細く、独特のコシとツルツルとしたのどごしが特徴の「稲庭うどん」
秋田県南部の手延べ製法による日本三大うどんのひとつに数えられる「干しうどん」
本家本元の「佐藤養助製麺所」
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「ひやむぎ」より太く、やや黄色味かかった色をしている稲庭うどん
製法としては、うどんというよりそうめんに近いです
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打ち粉としてデンプンを使う点・平べったい形状が特徴
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ひねりながら練るという独特の製法
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その製法によって、麺は気泡により中空になっています
そのため異常なまでの滑らかな食感が得られるのが特徴
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一般的に流通しているのは乾麺ですが
地元および県外のアンテナショップ等では半生麺も入手できます
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「稲庭うどん」は、雪深い北国の保存食として江戸時代に作られたのが始まりとされています
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商品として稲庭うどんが作られはじめたのは、寛文5年(1665年)にまで遡ります
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その上品な味が認められ、当時の秋田藩主・佐竹公に納められるようになった事から
高級品として知られるようになってきました
明治時代になっても、中々一般市民の手には入らないほどだったそうです
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稲庭うどんと言えばここ!という、老舗中の老舗
「稲庭うどん」の歴史を語るべく「佐藤吉左エ門」が創業したお店「佐藤養助商店」
創業150年を超える歴史を誇る、稲庭うどんの名店です
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総本店となる店舗は、ここ秋田の稲庭町にあります
秋田県内に多数店舗、仙台、今や東京にも数店舗お店を展開しています
何もかも手作りで大量生産出来ない「稲庭うどん」は貴重です
さ、本場の味を楽しみましょう^^
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