そうだ 京都は、今だ。① 2021祇園祭・後祭「宵々山」 [Japan 京都]
今年は海の日連休を跨いで、7月21日~京都へ四日間出掛けてきました
疫病退散を願うこの時期 神、仏様を迎えるお盆なので
夏の「祭り」が色褪せぬうちにここから~京都旅始めます
左三つ巴 我が家も同じ家紋です
八坂神社の祭礼の「祇園祭」は、日本三大祭の一つとして知られています
歴史は長く、通所ならば毎年7月1日(吉符入)~31日(疫神社夏越祭)まで・・・
一ヶ月に亘り執り行われます
が、コロナ禍で中止となっていたこの祇園祭
山鉾巡行は中止でしたが、組み立て技術の継承などを目的に
二年ぶりに山鉾11基のうち6基が、京都市中心部の新町通と室町通に姿を現しました
newsでは見ていましたが、タクシーの運転手さんから「山鉾が置かれていますよ~」
と、教えていただけた事で、夢にまで見た憧れの祇園祭りを見ることが出来ました
祇園祭の後祭として山鉾は静かに新町通りに置かれていました
通常なら17日(前祭)~山鉾巡行と神幸祭~還幸祭まで、宵山が行われますが
山鉾が置かれただけでも、今年の京の夏を喜ぶ京都の人々の姿に
暫く「祭り」を忘れていた私達・夫婦の心も踊り立ちました
山鉾行事は昭和54(1979)年、国の重要無形民俗文化財に指定
平成21(2009)年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されました
南観音山は20日に設置が完了
赤を基調とした華やかな織物の懸装品が私達の目を引きました
自粛を呼び掛けつつ、21日から拝観の受け入れを始めました
駒形 提灯に明かりがともり、時折、風に揺れる・・・祭りの風情と高み
今からおよそ1100年前の清和天皇の貞観11年(869年)
京洛に疫病が流行し、庶民の間に病人・死人が多数出ました
そこで66本の矛を立て、洛中の男児が祇園社の神輿を神泉苑(中京区御池通大宮)におくり
悪疫を封じ込む御霊会を行った事が始まりでと伝えられています
山のなかでも岩戸山、北観音山、南観音山は曳き山で形態は鉾と同じ
真木が松の木で高さは地上約15mあります
鉾が今のような形になり、豪華な飾りをつけるようになったのは・・・
桃山時代から江戸時代にかけて貿易がおこり
舶来のゴブラン織や西陣織などが競って用いられるようになってからだそう
疫病流行時だけ不定期に行われていた行事も
円融天皇の天禄元(970)年からは、毎年6月14日に執り行われるようになりました
足利将軍、夫人らが観覧したことが記録に残っているそうです
しかし、応仁、文明の乱で京都は焼野原と化し、祇園の興隆に一頓挫をきたしましたが
町衆の祇園祭りに対する熱情は容易に屈せず
大乱の33年のち明応9(1500)年6月には、再び山鉾26基が巡行したと伝えられています
山鉾は町衆の手によって創意がこらされ、内容外観ともに豪華絢爛なものとなりました
祇園囃子が奏でられていました
4日連続で猛暑日に見舞われた22日
夕暮れの京都市内では祇園祭後祭の「宵々山」を迎え、ご神体の山鉾が建ち並ぶ姿
祇園祭は1000年の伝統を誇っていて、再三中断、再興をかさね~
京都の歴史とともに歩んできたお祭り
静かに夏の厄払いと夏夜を彩る美しい歴史ある祭りに
やっと念願かなって~触れることが出来ました
7月22日海の日・この前後はコロナ感染者も少ない京都(44人)でしたが
一気に感染者が十倍にも増え・・・
8月2日~31日までまん延防止等重点措置が適用されています
週明けから、外国人観光客の全くいない「誠の京都」旅ログ
日常記事を挟みながら始めます^^
疫病退散を願うこの時期 神、仏様を迎えるお盆なので
夏の「祭り」が色褪せぬうちにここから~京都旅始めます
左三つ巴 我が家も同じ家紋です
八坂神社の祭礼の「祇園祭」は、日本三大祭の一つとして知られています
歴史は長く、通所ならば毎年7月1日(吉符入)~31日(疫神社夏越祭)まで・・・
一ヶ月に亘り執り行われます
が、コロナ禍で中止となっていたこの祇園祭
山鉾巡行は中止でしたが、組み立て技術の継承などを目的に
二年ぶりに山鉾11基のうち6基が、京都市中心部の新町通と室町通に姿を現しました
newsでは見ていましたが、タクシーの運転手さんから「山鉾が置かれていますよ~」
と、教えていただけた事で、夢にまで見た憧れの祇園祭りを見ることが出来ました
祇園祭の後祭として山鉾は静かに新町通りに置かれていました
通常なら17日(前祭)~山鉾巡行と神幸祭~還幸祭まで、宵山が行われますが
山鉾が置かれただけでも、今年の京の夏を喜ぶ京都の人々の姿に
暫く「祭り」を忘れていた私達・夫婦の心も踊り立ちました
山鉾行事は昭和54(1979)年、国の重要無形民俗文化財に指定
平成21(2009)年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されました
南観音山は20日に設置が完了
赤を基調とした華やかな織物の懸装品が私達の目を引きました
自粛を呼び掛けつつ、21日から拝観の受け入れを始めました
駒形 提灯に明かりがともり、時折、風に揺れる・・・祭りの風情と高み
今からおよそ1100年前の清和天皇の貞観11年(869年)
京洛に疫病が流行し、庶民の間に病人・死人が多数出ました
そこで66本の矛を立て、洛中の男児が祇園社の神輿を神泉苑(中京区御池通大宮)におくり
悪疫を封じ込む御霊会を行った事が始まりでと伝えられています
山のなかでも岩戸山、北観音山、南観音山は曳き山で形態は鉾と同じ
真木が松の木で高さは地上約15mあります
鉾が今のような形になり、豪華な飾りをつけるようになったのは・・・
桃山時代から江戸時代にかけて貿易がおこり
舶来のゴブラン織や西陣織などが競って用いられるようになってからだそう
疫病流行時だけ不定期に行われていた行事も
円融天皇の天禄元(970)年からは、毎年6月14日に執り行われるようになりました
足利将軍、夫人らが観覧したことが記録に残っているそうです
しかし、応仁、文明の乱で京都は焼野原と化し、祇園の興隆に一頓挫をきたしましたが
町衆の祇園祭りに対する熱情は容易に屈せず
大乱の33年のち明応9(1500)年6月には、再び山鉾26基が巡行したと伝えられています
山鉾は町衆の手によって創意がこらされ、内容外観ともに豪華絢爛なものとなりました
祇園囃子が奏でられていました
4日連続で猛暑日に見舞われた22日
夕暮れの京都市内では祇園祭後祭の「宵々山」を迎え、ご神体の山鉾が建ち並ぶ姿
祇園祭は1000年の伝統を誇っていて、再三中断、再興をかさね~
京都の歴史とともに歩んできたお祭り
静かに夏の厄払いと夏夜を彩る美しい歴史ある祭りに
やっと念願かなって~触れることが出来ました
7月22日海の日・この前後はコロナ感染者も少ない京都(44人)でしたが
一気に感染者が十倍にも増え・・・
8月2日~31日までまん延防止等重点措置が適用されています
週明けから、外国人観光客の全くいない「誠の京都」旅ログ
日常記事を挟みながら始めます^^