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智恵子の生家 [Japan]

高村 智恵子(たかむら ちえこ)1886年5月20日 - 1938年10月5日

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日本の洋画家であり、夫は彫刻家・詩人の高村光太郎
夫の光太郎が、彼女の死後に出版した詩集「智恵子抄」が有名です

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「智恵子抄」・・私は大好きで、何度も読みました
花巻にある「高村山荘」・・光太郎が自炊し、沢山の智恵子への詩を読んだ地・・
以前、訪ねたことが有りますが、智恵子の生家を見るのは初めてです
菊人形の霞ヶ城趾の直ぐ近くに、高村智恵子の生家があります

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旧姓・長沼智恵子  長沼家は清酒「花霞」を醸造する酒造家で、資産家でした
明治の初期に建てられた生家には、造り酒屋として新酒の醸成を伝える「杉玉」が下がります

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裏玄関から~智恵子が幼年時代を過ごした生家へ入り、彼女の半生を辿ってみましょう

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狭い階段の上に8畳の女中部屋があります

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当時、長沼家には数人の女中が雇われていました
こちらの階段を上ると~杜氏・酒男などの部屋です

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女中や酒男は、ここでまかない飯を食べたのでしょう

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智恵子は、福島高等女学校(現・福島県立橘高等学校)を卒業後、日本女子大学校に入学

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油絵に興味を持つようになり、1907年に大学を卒業した後・・
当時では珍しい女性洋画家の道を選んで東京に残り、太平洋画会研究所で学びました

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柳八重の紹介で光太郎と出会い、1913年(27歳)一緒に上高地に行って絵を描いた際
結婚の意思を固め、1914年(28歳)に結婚

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結婚後は、金銭的に苦しい窮乏生活を送りつつも制作活動を続けていました
結婚以前から病弱(湿性肋膜炎)であったこともあり、一年に3~4ヶ月は故郷で過ごしていたようです

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しかし、父今朝吉の死、長沼家の破産・一家離散など心労が多く
光太郎が三陸方面の取材旅行で留守中、統合失調症の最初の兆候が現れました(当時・45歳)
(統合失調症とは、認知障害や自閉症等の合併した病気)

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1932年7月15日(46歳)大量の睡眠薬を飲み、自殺を図りましたが未遂に終わります
療養の為、光太郎と東北の温泉めぐりをしましたが、病状はかえって進行してしまいます

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幻覚を多く見る様になり、全体に意識がひどくぼんやりするようになった智恵子
食事も入浴も、光太郎が全て世話をしたそうです

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奥の二階へ続く階段から、今にも智恵子が下りてきそうな気配が漂います

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庭には酒造りに欠かせない井戸が・・

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智恵子の脳の変調はどんどん進み、鳥と遊んだり、自身が鳥になったり~
松林の一角に立って、「光太郎智恵子光太郎智恵子」と一時間も連呼したりするように・・・
次第に狂暴の行為を始めるようになり、自宅療養が危険なので、南品川のゼームス坂病院に入院

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後に、この病室で多数の紙絵を生み出しました

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智恵子はこの家・安達太良(阿多多羅)や阿武隈川の美しく、穏やかな自然をこよなく愛しました
智恵子抄の一節に「東京には空がない・・」と智恵子はいふ、と光太郎が読んでいますね・・

裏庭に咲いていたケイトウの花
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裏庭には智恵子記念館があり、彼女の油絵、紙絵が展示されていました
撮影不可の為、写真を撮ることは出来ませんでしたが、
彼女の面影、光太郎への愛を感じることの出来る、素晴らしい作品の数々を観ることが出来ました
目に触れるものを作らずに置かなかった沢山の作品は~
こんなきれいな花!こんな見事な蟹!こんな美味しそうな果物!と~
全て光太郎に語りかける愛のうた、日々の報告だった様な気がします

百を以て数える枚数の彼女の作った切紙絵は、まったく彼女のゆたかな詩であり
生活記録であり、たのしい造型であり、色階和音であり、ユウモアであり、また微妙な愛憐の情の訴でもある
彼女は此所に実に健康に生きている
彼女は、それを訪問した私に見せるのが何よりもうれしそうであった
私がそれを見ている間、彼女は如何にも幸福そうに微笑したり、お辞儀したりしていた
最後の日、それを一まとめに自分で整理して置いたものを私に渡して、
荒い呼吸の中でかすかに笑う表情をした すっかり安心した顔であった
私の持参したレモンの香りで洗われた彼女は、それから数時間のうちに極めて静かに此の世を去った
昭和十三年十月五日の夜であった

~智恵子の半生・高村光太郎の一説から~


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沈丁花

美しい夫婦愛・・・
智恵子抄〜何度も読みました〜大好きでした!(涙)
by 沈丁花 (2012-11-12 04:43) 

hirochiki

私も、機会があれば是非こちらを訪れてみたいです。
この記事を拝見して、もう一度じっくりと「智恵子抄」を読みたくなりました。

by hirochiki (2012-11-12 05:07) 

ryuyokaonhachioj

智恵子抄って読みましたよ・・・
石臼とか機織り機とか釜戸などなどが、
懐かしく思えます。おばあさんが使って
ましたので・・・写真もきっちりと撮れてますよ~
良い写真です・・・。昨日は雨の一日でした。良く
降りましたね~寒いし・・・今日は昼頃から天気
が回復する予報だけど?・・・
by ryuyokaonhachioj (2012-11-12 05:57) 

美美

土間にある釜戸、石臼とても懐かしく拝見しました。
子供の頃はまだ我が家にありましたから(^^;
by 美美 (2012-11-12 07:45) 

ma2ma2

智恵子抄は昔に読んだ記憶があります。
確か亡くなってから書かれた本だったと記憶しています。
釜戸とか昔田舎にあったような感じで、懐かしいです。
by ma2ma2 (2012-11-12 07:56) 

しきみ

教科書に載っていたのしか、読んでいません智恵子抄。
こういう人だったんですね・・・
by しきみ (2012-11-12 08:55) 

viviane

沈丁花さん
私も大好きで、何度も読みました♪ きっかけは教科書からだったんですけど・・
光太郎の無垢の愛が、私達女性の胸を打ちますね(T_T)
by viviane (2012-11-12 12:41) 

viviane

hirochikiさん
本当に是非、機会が有れば・・
光太郎のアトリエが空襲で焼かれた際、持って逃げたと言う智恵子の油絵も展示されています!素晴らしいです♪
智恵子抄、愛する人に綴られた自分の詩、智恵子は天国で読んでいるのでしょうね・・
by viviane (2012-11-12 12:45) 

viviane

ryuyokaonhachiojさん
読まれてますか・・私は教科書がきっかけで、好きになった詩集です^^
囲炉裏、石臼等・・私はこういった場所でしか見ることが無いので、新鮮です♪
今日も朝から雨・・ここのところ、ずっとこういったお天気で嫌になっちゃいます(T_T)
by viviane (2012-11-12 12:48) 

viviane

美美様
では~子どもの頃は囲炉裏でご飯を炊いていたのですか!?
良いですね~一度で良いからそんな食事を体験してみたいです^^
by viviane (2012-11-12 12:50) 

viviane

ma2ma2さん
そうなんです、智恵子が亡くなってから・・
亡くなっても光太郎の中では生き続けていたのでしょうね~
ma2ma2さんに田舎があったのですか!?
私のイメージでは、空・宇宙・・がma2ma2さんなんですけど・・(^^;)
by viviane (2012-11-12 12:53) 

viviane

しきみちゃん
私も教科書がきっかけで智恵子抄を好きになりましたが、色々調べていたら本当に育ちの良い素直な才女だったようです☆
光太郎じゃなくても、男性なら誰でも好きになる女性・・そんな印象を受けました^^
by viviane (2012-11-12 12:55) 

ma2ma2

僕は東京生まれの東京育ちですが、母親の実家が福島なので小さい頃に良く行きました。
昔は土間があったような記憶が・・(笑)
ところで、なんで宇宙なの?
by ma2ma2 (2012-11-12 16:45) 

旅爺さん

智恵子抄の金色の銅像がたしか十和田湖にありましたね。
by 旅爺さん (2012-11-12 17:27) 

ryuyokaonhachioj

遅くなったけど・・・
昨晩、お陰で50,000 nice突破出来たんです。
これからも、宜しくお願いしますね~~。
by ryuyokaonhachioj (2012-11-12 18:14) 

viviane

旅爺さん
はい、智恵子の銅像ではないのですが、光太郎作の銅像が十和田湖にありますね^^
by viviane (2012-11-12 20:37) 

viviane

ryuyokaonhachiojさん
おめでとうございます!
こちらこそ、これからも宜しくお願いしますね(^^)/
by viviane (2012-11-12 20:38) 

viviane

ma2ma2さん
うわっ(>_<) 突っ込まれましたね~
お母様の実家が福島だったのですね・・
何故?宇宙かって?果てしなく空を、飛行機を追いかけてるからですよ~
いつか宇宙に行ってしまう気がして^^
by viviane (2012-11-12 20:44) 

HIRO

まさに波瀾万丈の人生ですね。
生きていれば楽しいこと苦しいこと
いろいろありますが、最後の最後
どう生涯を終えるのかが大事のような気がします。
智恵子さんは幸せだったと思います。
by HIRO (2012-11-12 22:51) 

viviane

HIROさん
私も本当にそう思います
裕福な家で育った智恵子、服を質入れする光太郎の姿を見て、何も言わず傍で微笑んでいた・・と光太郎は記しています
本人にとって何が一番幸せなのか・・
それは最後に愛おしいひとに看取られ、その後もずっと思い続けられることなのでしょうね
by viviane (2012-11-12 23:13) 

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